2002年6月30日日曜日

ワールドカップチケット狂騒曲 (以前HPに書いたコラムを転載)



始まりはドイツだった。


チケット発売当時はドイツに住んでいたので、ドイツから日本戦のチケットを購入しようとした。ドイツに割り当てられた枠の中では日本の試合を希望する人は少ないだろうから、日本で買うよりも倍率は低いと読んだからだ。


しかしインターネットでの申し込み後何ヶ月かして、FIFAからの手紙が届いた。


I am sorry....という文字を読んでゴミ箱に捨てた。


その後日本に帰国し、なぜかフードプロセッサを買うことになり秋葉原に行った。お目当ての品を買って店から出る途中、この製品パッケージのバーコード部分を所定の葉書に貼って送るとチケットが抽選で当たる、という広告を見て慌てて引き返し、店員さんにあちこち探してもらって「所定の」葉書をもらう。丁寧にバーコードを切り抜いて葉書に貼って送るが、今日まで何も音沙汰なし。


FIFAが公式に最終販売をするという話を知った。家にある電話はダイヤル式なので、携帯電話から電話し、電話代を600円以上かけて一次抽選の予約を行った。一次抽選前に再びドイツ出張になったのでカミさんが結果を聞いてくれてメールをくれた。落選。


その出張中ドイツ人の同僚にチケットのことをぼやいていると、「確か社員向け販売でチケット売ってたぞ。おまえが買えるかどうか俺が聞いてみてやるよ。」と一筋の光。もう出張も終わりが近かったので日本のメールアドレスを教えて、「絶対メールくれよ!」「わかったわかった」。


1週間ほどして彼から待望のメールが来た。「残念だけどもう全部売り切れちゃったみたいだ」


出張の前後にかけてコカコーラも懸賞でチケットが当たるキャンペーンをしていた。缶に貼ってあるシールを集めて応募すると抽選でチケットが当たる、というものだった。普段全くジュース、コーラを飲まない私は会社の周りの人に声をかけ、彼らの飲むジュースに貼ってあるシールをもらって応募した。彼らは非常に協力してくれ、ドイツ出張から帰ってくると自分のデスクの上にシールがたくさん貼ってあったりした。自分では全くといっていいほど飲まなかったが、かなりの口数応募することができた。しかし全て落選。


開幕二週間くらい前のある日、隣の席の人が「日本対ロシアのチケットあるらしいよ。17,000円だって。決勝もあるらしいよ。知ってる人が売ってるよ。」との情報を持ってきてくれる。17,000円かあ、ちょっと高いなあ、と躊躇し、帰ってカミさんに聞いてみます。と答えた。この躊躇があとになって命取りとなる。


何日かして会社の掲示板に、さいたまスタジアムでの準決勝に社員を4人招待!という記事が載る。秒速で応募用紙をプリントアウトし、応募。数日後結果発表。落選。


日本対ロシア戦のことをカミさんにも聞くことなく、ズルズルと時間が過ぎ2週間ほど経ったある日、また会社の掲示板にドイツ対カメルーンの試合のチケットを17,000で売る、という掲示が。それを見て、ドイツ対カメルーンだったら日本戦を見たほうがいいなあと思い、隣の席の人に「あのチケットまだあります?」と聞いてみた。数日後、「色々探してくれたんだけどもうなくなっちゃったみたい」との回答。ちなみにその人は既にそのチケットを一枚買っていた。カテゴリー1。ってことは定価じゃん。大後悔。


そのうちワールドカップは開幕したが、スタジアムに大量の空席があることが問題になり、急遽日本戦のチケットが追加発売された。ちょうど電話予約の日に体調を崩して休んでいたこともあり、カミさんのと二つの携帯をにぎりしめ、電話をかけまくる。しかし二つとも全くつながらず、時間だけが空しく過ぎた。30分ほどかけてあきらめた。後から聞くところでは十数分で売り切れたらしい。30分であきらめて正解だったか。


その後順調に試合は消化され、残るは決勝戦のみとなった金曜日、病院に立ち寄った私は12時30分前に会社に着いた。トイレに行くと同僚が「決勝戦行くの?6万円だもんねえ。。。」「???」「掲示板に出てるよ、売ってるんだよ、今。」ダッシュでコンピュータを立ち上げ掲示板をチェック。確かにある。決勝戦チケット60枚、1枚60,000円也。申し込みの締め切りは今日12時。30分悩み抜く。一生に1回だろうしなあ、でもこういうときに限ってカミさんは携帯を家に置いている。11時55分、1枚お願いします、というメールを渾身の気を込めつつ送信。


昼ご飯から戻っても何もアクションがない。おかしいなあ、と思っていると掲示板に「チケット抽選結果」という記事が。60枚に対して応募は133通。嫌な予感。その下に当選者の名前が。私の名前は......ない。6万円得したような変な気分。


その日の夜は課のみんなで飲み会だった。会場のイタリア飯屋に行って待っていると会社に残ってた人から電話。ドイツの人が緊急に自分に連絡を取りたいので携帯電話の番号を教えてくれとの由。仕事の話をプライベートに持ち込みたくないんだがなあ、と思いつつ電話番号を教える。


乾杯が終わった頃に彼から電話。「おい、これから重要なことを言うからよく聞けよ!」何だ?「明日の夕方、横浜のパンパシフィックホテルに泊まってる○○○って人に連絡をとれ。決勝戦のチケットを1枚お前にくれるぞ。」「何?本当か?本当に俺がもらえるのか?」「そうだ。そいつはうちの隣人で、90%はもう確定だ。幸運を祈る。」その後の飲み会が盛り上がったことは言うまでもあるまい。こんな大どんでん返しが待っていたとは。。。


土曜日、夕方になると早速指定のホテルに電話をかけ、○○○さんを探してもらう。いないらしい。背中に冷たいものが。ドイツからの客なんだけど、と言うとまだ名簿を提出してもらってないドイツ人の団体があるらしい。数時間したらまたかけるように、とのこと。首の皮1枚でまだつながっている。


数時間して電話。○○○さんが泊まっていた!部屋に回してもらう。まだチケットがあまるかどうかは確定していなくて、わかったら今晩か明日の朝に電話がもらう、ということにして電話を切る。その夜には結局電話がかかってこず、期待と不安が入り混じった一夜を過ごす。


翌日の朝も電話がない。不安になって1回電話してみようかと思い始めた十時半頃電話のベルが鳴る。まだチケットがあるかどうかの確認中らしい。もしあるのであれば2時間後にまた電話してくれるらしい。まだチャンスはある。


そして。。。。。





それっきり連絡はない。





2002年6月16日日曜日

天国と地獄



といっても金曜日の話なんですが。


金曜日はみんないいことありましたね。日本が決勝トーナメントついに進出。また私個人的にも結構ムフフなことがあっていい気分で仕事を追え家路についたのです。これが天国サイド。


原チャリで気分よく走っているとあいにく雨が降り始めました。しかしまあもう寒い!という気温ではなし、今日はいいこともたくさんあったし「濡れて行こうや」などと余裕の私でありました。


しかし、家まであと5キロくらいだったでしょうか、突然リヤが左右に振れ始めます。だんだん振幅も大きくなってきて、ゴツゴツとリアルに路面の感覚が私のデカいケツにも伝わってきます。


嫌な予感がしつつも路肩に退避してエンジンを止め、リヤタイヤを触ってみます。予感的中、タイヤはもうフニャフニャ、パンクです。もう乗って走れる状態ではありません。


時間は12時前、開いているバイク屋もありません。それから1時間と少し、降ったり止んだりする雨の中、すっかりバリバリ伝説の巨摩郡状態(知らないかな)でバイクを自宅まで押して帰り、パンクしたバイクはスクーターでもえらい重いことを身をもって経験させていただきました。


みなさん、重量車に乗るときにはパンク修理キット必携ですぞ。パンクしたら絶対100m以上押せないから。





2002年6月14日金曜日

祝:決勝トーナメント進出



2-0で快勝でしたねえ、今日の日本は。


試合時間がオフィスアワーだったのでどこの会社も開店休業でしたね。うちの会社も役員が大きな会議室で観戦していて、その会議室の扉を開放して一般従業員も入れるようにしてくれていたので、部署によってはもぬけの殻でした。


ま、こういう感じでみんなが仕事を放り出してまで夢中になれるイベントって日本人にはなかなかなかったと思うんですよ。バカらしいことではあるけど、日本人の精神衛生上これはすごくいいことだと思うんですね、自分。


仕事を放り出してまで夢中になれる、ということは「勤勉が美徳」という日本人の旧来からの価値観を突き崩しているわけじゃないですか。これからの日本はいい方向に向かうのではないかな、と。


「勤勉が美徳」が悪いといっているわけではないんです、念のため。日本人がすべからくその1つの価値観しかもっていなかった状態がよろしくなかったのでは、と。


日本の独自の価値観は堅持しつつ、そうでない価値観も受け入れられないまでも理解できる、そういう日本になって欲しいです。


今日は大風呂敷な話でした。





2002年6月13日木曜日

不遜ですが。



今日はド残業させてもらいました。


残業しても身体は大丈夫なくらいに回復したのですが、精神的な充足感が得られませんなあ。これは今に始まったことではないのだけど。


こんなに働いたら多分私他の人の及ばない高みに行っちゃうと思うんですよ。イヤ、マジで。私要領いいですから。でもね、そうなってもあんまり嬉しくないような気がするんですよ。なんか自分の力をものすごく間違った方向に浪費するような気がして。


だから今の会社でエラくなっても人に誉められても自分では納得いかないような気がする。


ま、まだエラくなってもないので、実際なってみると全然違うリアクションするかもしれないけど。


心配しなくてもこゆふうに考えるようなヤツはエラくならないか。ハハハ。





2002年6月12日水曜日

久しぶりの友達



今友達と飲んで帰る電車の中。気のおけない友達ってのは素晴らしいものだ。いいだろ。明日からもこのコンクリートジャングルでやってゆく自信がついたぜ。





2002年6月10日月曜日

ワールドカップ日本初勝利



やっぱり今日はこれについて書かなきゃだろうね。


ついに勝ちましたねえ、日本。ワールドカップで勝利するなんて夢のよう。テレビで見てたけどゲームセットの笛が鳴ったとき「あ、俺は歴史的瞬間に立ち会ってしまった」って思ったもん。ジョン・カビラは「皆さんは証し人です!!」って言ってるし。


なんか今日からの日本という国はちょっと違う、という気すらするね。


いやーよかったよかった。