2007年10月31日水曜日

声帯ポリープ完治



病院に来たのだが、今日でのどのリハビリも終了と言われた。このセレブ病院とも今日でお別れかと思うと少し淋しいなあ。





らも―中島らもとの三十五年 / 中島美代子



らも―中島らもとの三十五年


ううむ。という本だった。まずこの本を掲載した朝日新聞の書評欄に文句を言いたい。私は朝日の日曜の書評を実は熟読していて、ここに掲載されたから読んでみる、という本が結構多い。今どきのベストセラーだけでなく、骨のある本が多く紹介されているので、音楽を選ぶ際にピーター・バラカン師の教えを乞うのと同様本を選ぶのに書評欄に教えを乞うているのだ。書評欄で紹介されていたからこれは面白い本なのではないか、と読んでみたのだ。


確かに、中島らものファンであれば彼の生き様を知る資料として読んでおいて損はないかもしれない。しかしだ。それ以上の価値はこの本にはないと思った。読む前の期待感と読後感とのギャップが最近読んだ本の中で一番大きかった。


朝日には「明るい悩み相談室」時代からのらもファンがいるから敢えて書評欄に載せたのかなあ。権威を大事にする大新聞なら安直にマーケットに迎合するなよ。





2007年10月29日月曜日

(私の)東京モーターショー千秋楽



やっと今日、私のモーターショーが終わった。今日は一般公開日なので技術的に難しい、よって私が得意な質問は少なく、「この車、乗り出しでいくら?」とか「このモデル、セダンじゃなくてステーションワゴンはいつ日本で発売?」等販売よりの、よって私が一般人未満の知識しか持っていない質問が多かった。なので答えられないことが多々あり、皆さんがモーターショーの説明員に抱きがちな感情「なんだ、コイツ知らねーじゃん」を地で行ってしまった。すみません。


私はもうモーターショーに来る予定がないので今まで面倒くさがって見なかった他社の展示も見ておこうと思い、休憩時間に行ってみた。みんなはパッとしないなーと言っていたが、私もそう思った。今回のショーの目玉、日産のGT-Rはなるほどパッとしないなーと感じた。トヨタは私の目を引くものはなし。ホンダはプレゼンでコンセプトカーよりその横にいたASIMO(ロボット)が走ったことの方がウケていた。


私が立っているところから一番遠い二輪の展示にも行ってみようと思い、休憩時間に出かけたのだが、手前の商用車エリアで古い知り合いに会って話しこんでしまい、二輪エリアには侵入できず休憩時間終了。


その中でいいなあと思ったのがMINIの展示。普通は鮮やかに輝かせるブースを逆に暗くしてPAとDJを入れていい感じの爆音でテクノみたくなダンスミュージックを流し、壁にはミニをモチーフにしたトランスできそうな画像を音楽と同期させて映し出し、クラブ風にしていた。


私はモーターショーの喧騒、音楽は大嫌いで休憩時間は外にいることが多いのだがここの爆音、光の洪水に何故か癒しを感じ、20分ほど壁にもたれて聴いていた。ああリラックスした。





2007年10月28日日曜日

台風一家



愚息がさいころの目を当てる遊びをしようという。なぜかさいころを振るお椀も準備し、床の上に大きな木の板が敷いてある。


他のゲームに使うコインを3人分用意してもらい、ゲーム開始。最初はさいころの目を当てようとしたのだが、誰も当たらないことが多く盛り上がらない。なので丁か半かを当てるルールに変更。説明しても小学一年生には偶数と奇数の概念がなく理解不能。なので紙に


「1,3,5 ちょう  2,4,6 はん」


と書いて渡す。あ、反対だ(笑)


台風一過の青空の下、「さあっ、丁か半か!」「丁!」「僕も丁!」「じゃあ半!」などとさわやかな声が響き渡る我が家なのであった。





Live @ 早稲田 Jerry Jeff as Rock’n Roll Gumbo






誰しもそうだと思うが、今までに演奏したことのない場所で演奏するのは緊張するものだ。しかし、ここJerry Jeffは違った。坂を上って店の看板が見える前から、早稲田という街の持つ独特の雰囲気が私をリラックスさせた。ドアを開けて中に入るとすごく懐かしい感じがした。学生時分に行っていた飲み屋、古本屋などはこんな感じのところが多かったなあ。古くて雑然としているのだが暖かい感じ。


今日は対バンがあり、その葉子 & Swamp Diversから演奏開始。こんなバンドがあるとはやはり東京って人間の層が厚いんだなあと実感。自分の出番もすっかり忘れて聴き入ってしまった。私が知っているバンドで言うとThe Bandあたりの音。キーボードのお兄ちゃんはまんまDr.Johnだったしフィドルも弾いていた。ベースはバリトンギター(弦が6本ありギターの1オクターブ下の音が出るのだそうだ)を操り、絶妙のタイム感でおいしすぎるベースラインを弾いている。ギターもいい音でリズムセクションにうまく絡んで官能的だったし、ボーカルは日本にこんな声でこんな歌い方をする人がいるんだあ、と畏敬の念さえ覚えた(笑) いやーいいバンドだった。


そうこうしているうちに我々の出番。いい感じにオーディエンスを暖めていただいたのでこれを冷ましてはならじと演奏開始。今回はいつもと違いドラムセットがなく、ドラムは立ってスネアのみ。なのでバランスが少し違って最初は戸惑う。しかし店が狭くドラムレスのため全員が寄り添って演奏しててお互いの音がよく聴こえ一体感がある。こうなると多少のアラもなんのその、お客さんの盛り上がりにも助けられて一気にヒートアップ。南林間Whisky Riverに匹敵するテンションの高さで熱い演奏を繰り広げる。


テンションが高くなってくるとメンバーからも練習のときとはまるで違う超絶フレーズがボンボン出てきて演奏しながらニヤニヤしてしまう。中でもBarry Manが凄かった。「オリャーッ、俺の低音の前にひれ伏すのじゃ!」てな感じで盛り上がる観客に正対して真っ向勝負。「漢」のソロだった。


最後は店が揺れるような感じでお客さんもバンドもみんな一緒に歌い、踊っていた。こういうライブができると音楽をやっていてよかったなあ、と思う。アンコールをいただいて"Blue Monk"を演奏。バンマスの変態アレンジがビシッと決まってお客さんを直撃し、よく言えばダイナミックな、悪く言えば破綻寸前ギリギリ、しかしみんなが楽しめるラストになった。


いやあものすごく疲れたけど楽しいライブだった。聴いていただいた皆さんありがとうございました。





2007年10月27日土曜日

[常] 久しぶりの休日(B



今日やっとモーターショーから一旦解放された。モーターショー自体は今日から一般公開なのだが、私達にとってはその前にあって一般公開されないプレスデー二日、及び特別招待日一日がヤマ場なのである。VIP(社内も社外も)はこの三日間に集中するし、VIP対応であるからして昼も夜もべったりはりつく必要があるからである。なんとかその三日間をやり過ごし、今日上司から帰宅許可が出た。


家に帰って牛丼と我が家の煮物を食べ、少し寝て、そのあとずーっと愛娘をだっこしていた。最近やっと彼女は私のだっこで寝入ってくれるようになり、今日もほとんどはすやすや寝ていた。二時間以上だっこしてたかな。


かなり落ち着いた。


しかし月曜日も一日立つのだが。。





ナンパ



モーターショーで立ってたときにふと記憶がよみがえったのだが、実は私何年か前のモーターショーでナンパされかかったことがある。ナンパされたのは私の人生で後にも先にもその一度きりだ。


その日はやはりプレスデーで、本社の人間も多く来ていて国際色豊かな中、説明員として車の横に立っていた。少し離れたところに白戸家のお兄さんを少し恰幅よくした黒人男性が立っていた。なぜか彼とよく目が合った。特に気にもしていなかったのだが、何度目かに目が合ったときにウインクされた。「うっ。。これは」とたじろいでいると手を添えない投げキッス攻撃を繰り出してきた。


「やばい、これはナンパだ。。」


それからは彼と絶対に目を合わさず、さらに一日中できるだけ人通りの少ないところは歩かないようにして、周囲(特に背後)に気をつけて過ごした。おかげさまでその日は何も起こらなかった。





2007年10月24日水曜日

外泊



第二子が生まれてから初めて外泊している。部屋で一人寝るのはゆっくり寝られるとう利点があるもののちょっと淋しさも感じる。夜泣かれたり歯ぎしりされたり寝小便されたりしても妻や子供の寝顔を見られる我が家で寝るほうがいいなあ。





2007年10月21日日曜日

たこ焼きパーティー



母は産後であまり動けず、父は週末も出勤し、土日休みですることのない愚息は家で退屈していた。昨日の午後半日だけ私も休めたので、彼の好きなたこ焼きを家で作ろうと提案し、少し離れたスーパーまで散歩がてらたこ焼きの材料を買いに歩いて出かけた。天気の良い日だったのだが秋の日は鶴瓶落とし(笑)で午後は日が陰って少し寒かった。


スーパーに着いて野郎二人で材料を物色。愚息は抜け目なく試食をチェックしてゆく。「おーおでんもあるー」などと上機嫌。肝心のタコ、二パック買おうとする彼に「じゃあ君の好きなの一個にしない?」と声をかける。すると下のほうから二パック分ほどある巨大なパックを発掘して上機嫌。父一瞬気が遠くなる。精肉売り場で牛の巨大な骨(うちの鍋には入らない)を見て「すげー。あれは動物園の人が買ってライオンに食べさせるんだよ」と知ったかぶりに解説もしてくれた。


帰って食卓に新聞紙を敷きつめ、弟にもらった卓上コンロを取り出し、にしやんにもらったたこ焼き用鉄板を乗せる。にしやんは昔一緒だったメーリングリストで私がたこ焼きの鉄板はうちにはない、という話をしたらすかさず鉄板を送ってくれた関西が誇る寛大なお方だ。ありがとうございます。私も広島風お好み焼きソースがうちにはない、という方にはすかさず送って差し上げよう。


最初は鉄板に油が回らず、ガスが切れたりしてあまりうまくいかない。しかし3回目、4回目になると油もよくなじみ、鉄板もいい具合に熱されてきて、さらに形而上に眠っていたたこ焼きをおいしく焼くコツが形而下に降りて顕在化するため、おいしく焼けるようになる。彼が購入した常軌を逸する大きさのタコもあっさり平らげ、家族全員大満足。


しかしたこ焼きにもお好みソースをかけるのが広島人の魂だと思うのだが、あろうことかうちの冷蔵庫には中濃とウスターのブルドッグ兄弟しかいなかった。。。。





2007年10月19日金曜日

[常] Rock’n Roll



現代技術で高度に制御された快適なオフィスも今日限り、明日から10日間ほどイベントの準備とイベント会場で過ごすことになる。イベントも観客側から見ると、高度な技術で制御されているように見えるが、数日間だけ高度な技術で制御された空間を作り出すためには果てしないやっつけ仕事が必要になる。幕が上がる時間が決まっているため準備のための時間は限られ、その限られた時間の中で圧倒的な物量を持ち込み、何もないところに人々が憧れるような極上空間を作り上げなければならないのだ。異なる文化を持った人達が一緒に働く場合、いわゆる多国籍チームの場合はさらに混沌度合いが増す。常識、あるいは不文律という議論の必要のない部分さえ文化によって異なり、いちいちそれを議論して決めてゆかなければならない。時間がないためトライアンドエラー、あるいはトヨタ得意の改善をする時間も当然なく、有史以降準備が完璧にできたイベントは未だかつてないと私は断言できる。運営側から見るとイベント会場は阿鼻叫喚の地獄絵図が広がる戦場なのだ。お客さんにはそれは見えないようになっているから見えないだけで。


最初は色々文句を言ったり直させたりした。「このイベントは仕切りが悪いなあ」とぼやいたり。しかし「世の中に仕切りの良いイベントなど存在しない」ことに気づくまでそう長くはかからなかった。


非日常なのだ、戦争状態なのだ、と思えば腹は立たない。いかに自分に与えられたミッションを最大限遂行できるか、リスクを極小化できるか、刻々と変わる環境に合わせ考え、即実行するだけだ。


戦場へ赴く兵士の気持ちもこんなだろうか。心静かにデスクに坐り、明日から考えられうる最悪の状況をイメージし、対処できるよう持参品をそろえ、チェックし、カバンに入れる。机の上をきれいさっぱり片付け、)PCの電源を落とす。


じゃ、行こうか。





2007年10月17日水曜日

It’s better to burn out, than it is to rust.



Rust Never Sleeps


朝会社に行ったら表現しにくい凄い顔をした同僚が私の所にやってきた。彼女の親友にして同僚、さらに同じ時期に妊娠して出産した私の知り合いでもある女性の、1年前に生まれたその子供が今朝亡くなったのだそうだ。


強い感情はなかったのだが、ボーッとして仕事が手につかなかった。





夕方仕事でドイツに電話をかける。ひっかきまわすのが得意なイタリア系ドイツ人がまくしたてる。一週間先の予定が立ってないなんておかしいじゃないか、というと一言。


「I am too much Italian for you.」


「I am too much Japanese for you.」と応酬。





家に帰っておでんを食べ、冬用の羽毛布団を出してきてシーツをかける。


もう冬支度だ。





先週末に録画しておいたNeil YoungのRust Never Sleeps Tourを見る。


彼の表現しようとしていることが身にしみて感じられる。





まだまだこの世で転がり続けてのたうち回ったるぞ。





2007年10月16日火曜日

同僚との会話



エレベーターの中での同僚のHさんとの会話。


彼は茨城支社勤務で、そのときに一緒にスペインに出張し、夜レストランが開くまでと一緒にバールを飲み歩き、Riojaをしこたま飲んでレストランが開く時間には既に前後不覚でレストランには行けず、という愉快な経験をご一緒させていただいた方。今は東京勤務。


私「hさん東京もう長いですよね。何年契約なんですか?」


H「3年契約って言われて来たんですけどね、その約束をした上司はもう変わっちゃったんですよ。新しい上司に言ったら「書いたものを見せろ、書いたものがなく口約束であれば無効だし、いまさら茨城に帰って何をするんだ」って言われたんですよ。。」


私「(マジかよ)大変ですね。今もご家族とは別々に暮らしてらっしゃるんですよね。」


H「そうなんです。今も別々に暮らしてます。」


私「大変ですね。これからは呼び寄せるんですか?」


H「(明らかにムッとして)何を言うんですか!大変じゃないですよ!」


私「???」





H「家族と別れて一人で暮らすのは最高なんですから!」





2007年10月13日土曜日

生後2週間



が経過した。黄疸も取れ、スリムだった体もすこしふっくらしてきて、順調に育っている。我が家の中でもしっかり存在感を主張し、それが認知されるようになり、4人家族になってきた。


一方2週間前までは家族の注目を独占していた愚息がちょっと不穏な動き。彼は妹を受け入れているし、非常にかわいがっているのだが、親が彼女に係わっていると中に割って入ろうとする。何かしてても集中がすぐに途切れてしまうし、話をしてもあまり要領を得ないことが多かったり、ちょっと厳しく言うとすぐに怒る。最近話したドイツ人の同僚(彼も12月に2人目の子供が産まれた)がこんなドイツのことわざがあるのだ、と教えてくれた。


"Ein Kind ist kein Kind." (子供1人は子供とはいえない)


2人以上生まれてからが本番なのだそうだ。この言葉、最近実感。





2007年10月12日金曜日

池上本門寺 お会式



毎年10月12日はお会式。仕事もそこそこに家に帰り、ご飯をかきこんで池上に向かう。池上通りに近づくと賑やかなお囃子の音が聞こえてくる。


この万灯行列、毎年見に来ていて特に毎年同じ内容、何かが変わるわけではないのだが、この行列で打ち鳴らされるお囃子のリズムが私は非常に好きだ。うちわ太鼓、鉦(かね)、そして何本かの笛で奏でられる単純なリズムなのだが、聞いていると気分が高揚してくる。日本にも世界に誇るリズムがあるではないか、と毎年思う。


そしてこのリズムが一番かっこいいと私が毎年思うのが立正佼成会の行列。リズム隊の人数も多く、揃いの衣装、何列か縦隊にピシッと整列し、J.B.sばりに一糸乱れぬ鉄壁のグルーヴ(笑) かなり練習してきているんだろうなあ。今年も聴けないかなあ、と思ってたら本堂の横でやっていた。立正佼成会と言えばブラバン小僧の武道館、普門館と東京佼成ウインドオーケストラを擁するブラスバンド愛好者にはちょっと知られた宗教団体。だから気合入れてやってるのかなあ。


行列の模様は池上本門寺お会式オフィシャルページでなんとYoutube配信されている。興味のある方はどぞ。


一方、愚息は行列にもお囃子にも全く興味なく、夜店をすみからすみまで見て回り、チョコバナナ、わたあめ、ジュース、たこやき、りんご飴とお祭りフルコースをお召し上がりになり、「ああ今日は楽しかった~」とご満悦。





2007年10月11日木曜日

Not Too Late / Norah Jones



Not Too Late (Dig)


出産のときに、Come Away With Meをかけると陣痛が強くなりお産が進んだ。この第一作目は死ぬほど売れたしグラミー総なめだったのだが、その後にも何枚か出していたなあ、と思い図書館で二枚目のFEELS LIKE HOMEと共に借りてきた。これが三枚目にして最新作(だと思う)


ちょっと暗いなあと思ったのだが、通勤途中に聴くと結構ハマる。一枚目は歌詞にメッセージ性がないし、曲調も浮遊感があるズージャ風なものが多かったのだが、こちらはよりアメリカのルーツミュージックへの回帰が感じられる。Neil YoungのPrairie Windあたりに近い静かなカントリー調の曲もある。歌詞も半分以上わからないが、内省的なものを感じる。


今日はちょっとかなりがっかりなことが仕事であったので、帰りの電車の中でクチビルをかみしめ、ちょっと泣きそうになりながらこのアルバムの切ない世界に聴き入る私であった。





自宅出産を経験しての感想



第一子は病院で産まれたので、今回第二子の自宅出産と病院での出産を比べてみる。


父親にとって、出産というのはなかなか実感を伴いにくいプロセスである。急にカミさんが痛みを訴え苦しみ始め、そうすると慌てて病院に向かい、カミさんの痛みはどんどん激しくなり、初めて訪れる病院で密度の濃いケアが様々な初対面の人達によって行われ、(事前にいろいろ勉強していても)わけがわからず一種のトランス状態の中で出産を迎える。出産後も何時間かで子供ともカミさんとも別れて家路につき、寝不足の頭で「あ~うまれた」とかうとうと考えながら家で一人寝る。その後もたまに非日常の場である病院に訪れ、カミさんと子供に会う。その訪問を何日か行うと、退院の許可が出て、そこで初めてカミさんと子供は自分の家にやってくる。子供が自分の家にやってきて生活(とはいえないが)をし始め、自分と彼(彼女)が一緒に暮らし始めることでだんだん「ああ、おれって父親」実感が湧いてくる、第一子の場合はそういうプロセスを辿った。


一方自宅出産では、全てのプロセスが断絶せず私の目の前で繰り広げられた。


カミさんが陣痛を感じ始めると助産師さんが自分の家に来てくれ、ケアを開始してくれる。といっても陣痛監視装置を付けたり分娩台の上に寝っ転がったり点滴したりとか特別なケアではなく、陣痛の進みが遅いから近くを散歩しようとかお風呂に入ろうとか。そうしてだんだん陣痛が強くなり、居間でカミさんは歯を食いしばって陣痛に耐え、私は彼女の後ろで体をさすったりもんだり汗を拭いたりし、助産師さんは赤ちゃんの出具合をチェック&コントロールする。赤ちゃんが出た。へその緒もつながったまま、カミさんの胸の上にペチョ、と乗っけてくれる。「男の子?女の子?」カミさんが聞く。「私はまだ見てないわよ。見てあげて。」と助産師さん。カミさんが見てみる。女の子。


「赤ちゃんが出たよーっ!」愚息を起こすが熟睡中で一瞬起きてもそのまま寝てしまい、赤ちゃんを見ることはできない。


へその緒はまだドクドク脈動していた。出てきた最初は紫色だった赤ちゃんがみるみる赤くなる。静まり返った夜更けに大きな声で泣く。へその緒の脈動が止まってからへその緒を切る。胎盤が出る。カミさんは初めてのおっぱいを赤ちゃんにあげている。私は安心し、冷蔵庫から発泡酒を出して飲む。


その後カミさんと赤ちゃんはカミさんの布団に移動。私の布団の隣。赤ちゃんが泣く。昨日まで3人が静かに寝てた部屋に今日から4人寝る。愚息もうるさいのだろう、寝にくそうにしている。助産師さんは器具を掃除して詰め、朝方帰る。雨が降っている。


私も寝る。泣き声がうるさくて目を覚ます。そこには昨日まで存在していなかった赤ちゃんがいて、頭にくるほど元気に泣いている。


その後も私が会社を休み、家族4人だけで新しい家族と過ごす最初の一週間を濃密に楽しむ。そこには不連続性は全くなく、家族は誕生の瞬間からずっと一緒。ずっと家族4人でご飯を食べ、枕を4つ並べて寝る。これが本当に自然な家族の増え方なんだなあ、と感じた。お祭りのような高揚感はないが、ズシリとしっかりした実感を伴う濃密な時間。





カミさんがしたい、といった自宅出産。私は特に思い入れなくその時を迎えたが、経験してみて、本当によかった。


自宅出産を経験し、自分が死ぬ時も自宅で死にたいなあ、と思った。非日常の中ではなく日常の中で人生を始め、また人生を終わることができたら幸せだろうなあ、と。





このような経験をさせてくれたカミさんに感謝。それを現実のものとしてくれた助産師・山田美也子さんに深く感謝。そして自分たちのもとに元気に産まれてきてくれた子供に感謝。最後に、こんな私の行動に理解を示し受け入れてくれた皆さんに感謝。





ありがとう。





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2007年10月10日水曜日

[子] 紙おむつがamazonで買える時代



ムーニー おしりピュア 96枚


生まれてから布オムツ一辺倒でやってきたのだが、バックアップに紙おむつもあった方がよいのではないかという話になり、今日会社の帰りに買うのだが、どの銘柄がよいのかネットで情報収集してみた。すると価格.comにもコーナーがあるし、amazonでも買えて他の商品と同じように1500円以上送料無料。第一子のときは安いオムツを探してアカチャンホンポに通ったものだが隔世の感があるなあ。情報収集してこれが一番価格と品質のバランスが取れているのではないかと思いこれを探して買って帰ろうと思うのだが、どうでござろうか先輩パパママ方。やぱ紙オムツ界のメルセデス・ベンツ、パンパースに行くべき?





[子] 出生届提出。



出生届を出すために役所に行った。戸籍係は普段行かない部署で、悲喜こもごもだった。(悲はあまりなかったけど)若い男女が仲むつまじく婚姻届を出しに来てて、結婚したら本籍が新しく作られると説明されあわてていたり、若くない男性が一人で婚姻届を出しに来てて、フィリピンの法律と日本の法律の違いでもめていたり。


その中で子供の出生届を出した。対応してくれた女性が手続きに手間取っていて、漢字の辞書を出してきたり方々に電話をかけていたので少し心配にもなったが、二児の父なのだから落ち着かなくては、と努めて柔和に待っていた。


しばらくすると彼女が「出生届出済証明」という紙を持ってやってきた。これをもらって手続き終了。公的な書類に私たちがつけた彼女の名前が載っている。彼女は(たぶん)一生この名前と一緒に生きてゆくんだなあ、と感慨深くその字に見入る。





幸せに生きてほしい。





2007年10月8日月曜日

3連発



赤ちゃんのう○こが出たのでオムツを換えようとおむつカバーをとった。きれいに拭き取って新しいオムツをおしりの下にあてがうとおしりの穴から「モリモリモリモリ」と半分泡半分液体の黄色いできそこないのクリーム状のものが流れ落ちた。いやー間一髪。そのまま彼女の足をあげているとお小水もほとばしり、足を上げているのでおへそ方面へ逆流した。これはいかん。再びオムツを換えた。そのあとぐずったので抱っこしながら座っていたら、「ビリビリビリビリ」と破裂音が。またう○こしおった。。。





2007年10月7日日曜日

親子で寄席初体験



最近5分で落語のよみきかせを寝る前に読んでいて、すっかり落語好きになってしまった愚息。一度本物の落語を聞きに行ってみようということになり、親子2人で寄席に行くことにした。


最初は上野の鈴本演芸場に行ったのだが、開演前から入口にものすごい行列。寄席は飲食自由だということを知っていた愚息は「座って食べて飲みながら見られなきゃやだ」とコメントし、急遽浅草に向かいタイガー&ドラゴンの舞台、浅草演芸ホールに。こちらは呼び込みの人が何人か通りに立って皆に声をかけていた。これなら大丈夫と近くのコンビニでお弁当、ビール、ジュース、お菓子を買いこんでいざ入場。「ご飯食べるなら2階がいいですよ。」という係員さんの声に従い2階席へ。確かに空席が目立つのでどこにでも座れる。お弁当を食べたいので少し後ろのほうでお弁当を食べつつ高座を見る。2階席からだと上から見下ろす感じになり、どうも雰囲気が違う。お弁当を食べ終わったので2階席の最前列へ移動。2階席でもこれだけ前に来ると臨場感がある。さっきは笑えなかったところでも笑える。愚息は「このお話しらないなー」とか「話すのが早過ぎてわからない」と最初は文句を言っていたが、気がつくと誰よりも笑っていて、噺家さんに「おいおい、子供が笑ってるよ」と言われる始末。落語だけではなく、手品、コント、講談、三味線などもあり、楽しめるようになっている。


途中で中休みが一回あったので、今度は1階に移動。2列目をゲットする。ここに座って聞く落語は面白かった。噺家さんの体の動き、顔の表情、出てくる汗まできっちり見えて、きっちり笑える。ひとりで色んな人を演じ分けていて、またそれが自然でびっくりした。愚息はさらに笑い、いろんな噺家さんに指摘されていた。あっという間の4時間だったが、私が知っている人は出てこなかった。しかし笑えた。


幼少のみぎり、中3でプロレスの巡業を見るまで生のエンターテイメントをみることのなかった私は、彼にはそういう思いをしてほしくない、小さいからこそいろいろ生で見てほしいと思い、今まで愚息と一緒にサッカー、プロ野球、大相撲(!)などいろいろなものを観にいったが、彼が「もう一度見たい」と言ったのは落語が初めてだった。


実際、次の日のお昼頃に「12時だ!落語が始まるよ!早く行かなきゃ!」と血相変えて私の所にやってきた(笑)





2007年10月6日土曜日

Live @ 南林間 Whisky River as Rock’n Roll Gumbo



今回で3回目なのだが、すっかりこのバンドのホームグラウンドになった感のある南林間ウイスキーリバー、今夜もいつもの暖かい(熱い)お客さんに見守られつつ20時過ぎに演奏開始。


今回はいつもとセットリストが違い、われわれにとっての難曲、"Big Chief"が早い時間に演奏される。今回私は音数を最少にし、音階よりタイミング命で勝負に出る。バンドメンバーもみなそれぞれのツボにハマったらしく、異常に高いテンションで演奏が繰り広げられる。まだ2曲目なんですけど(笑)これで観客にも演奏者にも火がついた。


いつもはここのお客さんに盛り上げてもらって演奏が熱くなってゆくのだが、今回は演奏者がお客さんを煽る場面もあり、南林間の夜はさらに熱く臨界状態。これだからバンドをやるのはやめられまへんなあ(死語)私もとび跳ねてたら隣のPAがゆらゆら揺れて倒れそうになっていたらしく、マスターはハラハラしていた模様(笑)


新曲をとりまぜて2セット演奏し、へろへろになった後にアンコール"Blue Monk"で演奏終了。演奏終了まで封印していた生ビールを飲み、少しお店の人、みにきてくれた人と話をすると終電の時間。残念、ここはウチからは少し遠いんだよなあ。


今回からマイクを立ててもらって歌ったが、演奏後お腹が痛くなった。のども痛くならなかったし、腹筋を使って発声しているという証拠かも。進歩が見られるぞ(笑)


今回はマスターのJunさんに演奏後「聴いてるとそうでもないんだけど一緒に演奏するとOrange County Brothersのベースとそっくりなんだよなあ」とのコメントをいただいた。2曲参加してもらったJunさんのギターもかっこよかったっす。ソロではなく何でもないカッティングがかっこよくてしびれました。


次回はまだ未定(今頃決まってるかも)なのですが、絶対南林間また行きますので待っててくださいねっ☆





2007年10月4日木曜日

生後5日





  • へその緒がとれた。しかし干し損なったアワビみたいな感じだし臭かった。石鹸で洗って洗濯物干しに干した。




  • 黄疸が出ているらしい。確かに白目の部分とか不気味に黄色くて「ジャンキー?」って感じ。今日はタイミングよくよく晴れていたので日光浴をした。生まれて初めてお天道様の下に出された彼女は眩しそうにしていた。




  • 初めて風呂に入れた。やはり泣いた。風呂の中で結構動くのできちんと支持するのが大変だった。





2007年10月3日水曜日

リアル・ロッカー



今日の新聞の広告。これを見たカミさん曰く、


「中島みゆきこそ真のロッカーよね」


確かに。私も激しく同意。ちゃんと聴いたことないけど。


そしてこのアルバムが発売、という広告でした。


I Love You,答えてくれ





生後4日





  • だっこして赤ん坊が泣くのを見ていたら、「こいつってばかなり発声がいい」ということに気がついた。のどから声を出すのではなく、口の中の共鳴をうまく使って少ないエネルギーで大きな声を出している。だからうるさいのだが。。。





2007年10月2日火曜日

生後3日



今日の発見




  • 生後間もない赤ちゃんの背中には結構黒々と産毛っちゅーか胸毛@背中みたいなのが生えている。でもしばらくすると抜けるらしい。私の毛深いのが遺伝してまったーごめんよーと思ってたので、抜けると聞いてホッとした。




  • う○こが緑色から多少茶色がかってきた。スパイスを複雑に調合したインドカレーみたいな色だ(笑)食事中の人すみません。





2007年10月1日月曜日

生後2日



今日の発見。




  • 赤ちゃんは赤い(笑) だんだん黄色くなってきたけど。