2007年9月9日日曜日

輪投げに人生の不条理を感じて



愚息と一緒に縁日に行った。一つだけ何か買ってあげるというと輪投げを選んだ。DSとか何とかレンジャーの基地が当たるからだそうだ。基地を当てるには「大当り」と書かれたどうやっても輪っかが下まで落ちそうもないような札に輪をかけなければいけないのだ、ということを確認して勝負開始。輪はその札に当たるのだがかかりはしない。4つか5つ輪を持っていたが、全て大当り様に弾かれ、他の賞品にも全くかからずあっというまに勝負終了。お兄さんに「残念だね、はいこれ」と飴を一つもらった。


しばらく無言で歩いていたが、目がウルウルして涙があふれてきた。悔しいのだそうだ。普段はすぐに食べ始める飴も「こんな飴なんか欲しくなかった。食べない!」と憤慨しきり。基地が欲しかったのにこんな飴玉一個もらって、彼にしてみれば不条理の極みだ。「お兄さんずるいよ。大当りのやつになんか全然引っかからないんだもの。そして僕はライターにも輪っかがかかったけどそれももらえなかったよ。」それも道理だ。いちいち大当たりを出していたらお兄さんが商売上がったりだとか、輪がかかっても一番下まで輪が落ちないとその賞品はゲットできない、という輪投げの不文律(勝負の前にお兄さんは説明してくれたのだが)などは彼には理解できないだろう。


でも涙を流して悔しがる彼を見ていて、彼はなんて純粋に物事を考えているだろう、とちょっと彼が眩しく見えたのも強い日差しのせいだけではあるまい。





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