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2010年6月2日水曜日

悔しい!



鳩山くん小沢くんの辞任のニュースを聞いた時はそうでもなかったが、家に帰ってTwitterで色々な人の意見を読むとだんだん悔しくなってきた。っていうかとっても悔しい。


なぜ彼らはやめなければならなかったのか。国民の支持を失ったから。なぜ国民の支持を失ったのか。それは、メディアが偏向した報道で大多数の国民を洗脳したから。なぜメディアは偏向した報道を行ったのか。鳩山くん小沢くんが日本を統治する現状ではメディアを利する勢力が存在価値を失うから。メディアを利する勢力とは何か。傀儡政治家を使ってメディアに浸透し、それを腐敗させる官僚。また彼らの選択によって利益を受ける業者。


みんな気づいてよ。少なくともこの国のメディアはおかしいんだよ。


検察が不起訴にした事件を、一般人が開催を要求し、一般人が審査する検察審査会で起訴相当にしたからなんだっつーの?なんでそんな茶番をメディアは取り上げるの?いくら民衆を煽って民意だ、って検察にもっかい捜査させても起訴できる証拠なんてでてくるわけないよ。一回検察が不起訴を決めてるんだから。こんなの大きく取り上げるべき事件じゃない。


一方テニアンは議会全会一致で普天間代替誘致を決議してて、知事が鳩山くんに普天間いらっしゃいって話す、って日本に来て、鳩山くんも会おう、って言ってたんだよ。だけどなぜか二人は会えなかった。普天間の「国外」移転は可能だったのに、だれかが妨害し、結局沖縄のジュゴンの住む海を何千億円もかけて埋め立てる案に戻った。海兵隊の抑止力が必要だって?この一連の動きをメディアはどれだけ取り上げた?お前らこれって特ダネだろ!なんで触れない?触れられない理由があるからだろ。


海兵隊の抑止力が沖縄に必要?ならメディアがしっかり説明しろよ。それを説明したメディアを見たことない。なんで自分が説明できないものをさも正しいことのように言えるのか。


もう全国紙は絶対に読まない。Twitterで言われていることと既存のメディアで言われていることの間にはあまりにも差がある。Twitterにサインアップ(無料)して議員やジャーナリストの生の声を聞いてみればいい。メディアによって切り貼りされていない彼らの肉声が聞ける。


ネット上のまとまった記事で私がなるほどと思うのは以下。これもTwitterで集めたのだけど。


鳩山くんの辞任演説ほぼ全文。言外からにじみ出る彼のやりたかった仕事。


ほぼ全文:“普天間”と“政治とカネ”の問題が政権を揺るがせた――鳩山首相、退陣表明演説 (1/3) - Business Media 誠


佐藤優の解説。この人の文章は鋭くて好きだ。


鳩山総理と小沢幹事長の間を 緊張させる官僚の「罠」 普天間問題を契機に静かなクーデターが始まる | 佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」 | 現代ビジネス [講談社]


この辞任は官僚の勝利だとはっきり言っている。


ページが見つかりませんでした - おとなの社会科 OTOSHA.COM


この辞任が大きな歴史の暗転の初まりにならなければよいのだが。


お願いだからみんな気がついてよ。





2010年3月17日水曜日

マタニティーマークについて(その2:今の意見)



皆様から色々コメントをいただきありがとさんです。こんなに反響があるとはビックリです。


いただいた意見に対して、それぞれ簡単にコメントを返しておきましたが、皆さんのコメント、またカミさんとの対話の結果、現在の私の考えを書いてみます。


まず、マタニティマークが一番必要、席を替わってほしいのは妊娠初期、悪阻がひどいけどお腹はまだまだ膨らまない時期、ってのは納得です。大変なんだね。だからデフォルトでこのマークを見たら席を譲るべき、ってのが今回以前から自分の中にあったんですけど、それでいいんだな、と再確認できました。譲ります。


で、私が引っかかっていたのは彼女のハイヒール及び体調のよさげな感じ。ここも、表情を外に出さない人もいるし、そんなに具合悪くない人も両方いると思います。だから見た目体調よさそうだからいいや、と思ってしまうのは危険かな、と。また、妊婦だからおしゃれしてはいけない、ヒールを履いてはいけない、というのもちょっと過剰な要求かな、と思います。


だけど、そのマークをつけているんだから、「自分が具合悪くなくて元気なら、譲ってあげてもいんじゃない?」というスタンスがいいのかな、と思います。ただささめめさんが見た女子高生を排除するためにも、席を譲らないという権利も留保されるべきでしょう。目の前でマークを振りかざされても、自分がこの人に譲るのはイヤだ!と思う人には譲らなくてもいいと思います。


で、次回また彼女が私の前に立った時、座っている私はどうするでしょうか?やぱ迷うだろうな(笑)、でも最終的には譲るかな。





2010年3月16日火曜日

マタニティーマークについて



今朝電車の中で座っていたら前に女の人が立っていた。カバンにマタニティーマークがついていた。あれって絶対座っている人に見える方向に出しておくみたいですね。よく確認できました。そして彼女のマタニティーマークは木でできていた。色んなところから出ているのかな。


で、席を譲ろうかな、と思ったんだけど、彼女を見るとかなり高いヒールを履いていたし、全然具合悪そうでもないし、妊婦的な服装もしていなくて普通のOLさんみたいだし、分厚い本を立って読んでいる。うーん、元気じゃん。これなんか違うんじゃないかな、と思った。


私が逡巡している間に隣の女性が席を譲り、彼女は私の横に座って普通に本を読んでいた。


昔書いた"Baby in Car"ステッカーみたいな釈然としないものを感じるんですけど、こういう”健康そうな”妊婦さんにもマークがついていれば機械的に席を譲るべきなのかなあ。家に帰ってカミさんの意見も聞いてみたいと思うが、世の女子の皆さん(特に経産婦の皆さん)お考えをお聞かせいただければ。





2010年2月21日日曜日

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 / 大熊 一夫



精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本


この本はすごかった。


精神病院ってなんだかヘンだなと思ってた。なんで入院したら出てこられないんだろう、なんで治療するのに拘束したり電気ショック与えたりするんだろう。退院してもまた再発して入院、何カ月も何年も。薬を飲んでものすごく太ったり無気力になったり。全然治ってないじゃんって。最悪自殺したりするし。医療行為なのかなあ、って。


一方この本は、イタリアでは精神病院を、犯罪を犯し再犯の可能性のある人が入る、司法管轄の司法精神病院(1000床くらい)を残して全廃してしまったと言う。全国津々浦々に精神保健センターを設け、基本的には医療チームが24時間対応で町中に住む患者を訪問して医療活動を行う、と。


すごいじゃん。そんなことが可能なんだ。精神病院に入っている患者は人間的な生を送っているとはいえない、危険な狂気は持続しない、狂気を持ったままでも社会生活を送れるはずだ、と考えた人たちが何十年かかかってイタリアの精神病院を閉じてしまった。結果、犯罪率は上がらず、医療コストは劇的に(6割だったっけかな)下がった。精神病者は社会に出ると有害だから閉じ込めるべきだ、という日本での常識(?)を1つの国家レベルでひっくり返してしまった。刑務所のような病院で一生暮らすのと、医療者と一緒にアパートに住むのと、どっちが精神状態の改善にはよいのかってこと。また、入院していた人が数%でも自分の力で社会で生きていくんだもの、コストは下がるんだね。


狂気と社会生活の共存、ってのがこの本から受け取った最大のメッセージ。精神疾患の原因はその人の社会生活にある。だからその人を社会生活から切り離して治療を行うのではなく、その社会生活にとどまり、その中に患者と一緒に医療者が踏み込んで解決を行わない限り改善はありえない、という考え方って私にはすごく新鮮だったし、その通りだと思った。日本ではそれが主流ではないと筆者同様私は思うけど、この本の後ろの方にはそれを日本で実践している例がいくつか出てきて希望が持てる。


狂気と社会生活の共存、この「狂気」の部分を「老い」とか「子育て」に置き換えると今の日本の問題、またそれの解決法が見えるような気がする。





2009年2月12日木曜日

妻との対話「なぜ人はブログを書くのか」



妻は「あなたみたいにブログを書く人はよくやるわねえ、私にはできない」という。なぜかと聞くとこう答えた。


自分の思索を記録する目的であれば誰にも見られない日記を書けばよいではないか。誰か伝えたい人が明確にあるならその人に宛てて手紙なりメールなり書けばよいではないか。なぜ誰が読むかわからない不安定な場所に自分の考えを公開するのか。


それに対して私はこう答える。


世の中に星の数ほどブログがある中でその内容を悪用しようとする人がいてもその人に遭う確率は非常に低く、ほとんどの読者は私の知り合いである。また私はブログの中では自分または登場人物が特定されない書き方をしているので、セキュリティー的には問題ないと思う。


私の知り合いである読者みんなに対して私の意見を(世間の常識に照らして一定のフィルターを通したものにならざるを得ないが)書き殴り、私が関心を持つこと、また心を動かされていることを知ってもらい、あわよくばコメント等で対話するのは私にとって楽しいことだ。


普通このような対話をするには気のおけないメンツでしかるべき酒量を摂取し胸襟を開くというプロセスが必要になる。そしてこれこそがギリシャ時代から連綿と続くシンポジウム、私の愛するプロセスだが、ブログを使えば地理的に離れていて、または忙しくて会えない人、さらには居酒屋に行って血中アルコール濃度を上げなくてもシンポジウムが仮想的に開催できる。相手からは対話を始められないので、正確にいうと双方向の対話ではなく私からの一方的な対話ではあるが、相手が断片的にでも私の問題意識を把握してくれれば、次回リアルなシンポジウムにおいてその進行、また対話の内容がより深まるのではと期待する。


要は飲みの延長、またはその仕込み、ってことですね(笑)





2007年10月11日木曜日

自宅出産を経験しての感想



第一子は病院で産まれたので、今回第二子の自宅出産と病院での出産を比べてみる。


父親にとって、出産というのはなかなか実感を伴いにくいプロセスである。急にカミさんが痛みを訴え苦しみ始め、そうすると慌てて病院に向かい、カミさんの痛みはどんどん激しくなり、初めて訪れる病院で密度の濃いケアが様々な初対面の人達によって行われ、(事前にいろいろ勉強していても)わけがわからず一種のトランス状態の中で出産を迎える。出産後も何時間かで子供ともカミさんとも別れて家路につき、寝不足の頭で「あ~うまれた」とかうとうと考えながら家で一人寝る。その後もたまに非日常の場である病院に訪れ、カミさんと子供に会う。その訪問を何日か行うと、退院の許可が出て、そこで初めてカミさんと子供は自分の家にやってくる。子供が自分の家にやってきて生活(とはいえないが)をし始め、自分と彼(彼女)が一緒に暮らし始めることでだんだん「ああ、おれって父親」実感が湧いてくる、第一子の場合はそういうプロセスを辿った。


一方自宅出産では、全てのプロセスが断絶せず私の目の前で繰り広げられた。


カミさんが陣痛を感じ始めると助産師さんが自分の家に来てくれ、ケアを開始してくれる。といっても陣痛監視装置を付けたり分娩台の上に寝っ転がったり点滴したりとか特別なケアではなく、陣痛の進みが遅いから近くを散歩しようとかお風呂に入ろうとか。そうしてだんだん陣痛が強くなり、居間でカミさんは歯を食いしばって陣痛に耐え、私は彼女の後ろで体をさすったりもんだり汗を拭いたりし、助産師さんは赤ちゃんの出具合をチェック&コントロールする。赤ちゃんが出た。へその緒もつながったまま、カミさんの胸の上にペチョ、と乗っけてくれる。「男の子?女の子?」カミさんが聞く。「私はまだ見てないわよ。見てあげて。」と助産師さん。カミさんが見てみる。女の子。


「赤ちゃんが出たよーっ!」愚息を起こすが熟睡中で一瞬起きてもそのまま寝てしまい、赤ちゃんを見ることはできない。


へその緒はまだドクドク脈動していた。出てきた最初は紫色だった赤ちゃんがみるみる赤くなる。静まり返った夜更けに大きな声で泣く。へその緒の脈動が止まってからへその緒を切る。胎盤が出る。カミさんは初めてのおっぱいを赤ちゃんにあげている。私は安心し、冷蔵庫から発泡酒を出して飲む。


その後カミさんと赤ちゃんはカミさんの布団に移動。私の布団の隣。赤ちゃんが泣く。昨日まで3人が静かに寝てた部屋に今日から4人寝る。愚息もうるさいのだろう、寝にくそうにしている。助産師さんは器具を掃除して詰め、朝方帰る。雨が降っている。


私も寝る。泣き声がうるさくて目を覚ます。そこには昨日まで存在していなかった赤ちゃんがいて、頭にくるほど元気に泣いている。


その後も私が会社を休み、家族4人だけで新しい家族と過ごす最初の一週間を濃密に楽しむ。そこには不連続性は全くなく、家族は誕生の瞬間からずっと一緒。ずっと家族4人でご飯を食べ、枕を4つ並べて寝る。これが本当に自然な家族の増え方なんだなあ、と感じた。お祭りのような高揚感はないが、ズシリとしっかりした実感を伴う濃密な時間。





カミさんがしたい、といった自宅出産。私は特に思い入れなくその時を迎えたが、経験してみて、本当によかった。


自宅出産を経験し、自分が死ぬ時も自宅で死にたいなあ、と思った。非日常の中ではなく日常の中で人生を始め、また人生を終わることができたら幸せだろうなあ、と。





このような経験をさせてくれたカミさんに感謝。それを現実のものとしてくれた助産師・山田美也子さんに深く感謝。そして自分たちのもとに元気に産まれてきてくれた子供に感謝。最後に、こんな私の行動に理解を示し受け入れてくれた皆さんに感謝。





ありがとう。





山田さんのホームページ TOP | ホームバースなごみ助産院





2007年7月22日日曜日

党首は訴える



NHKスペシャルを見ようと思ってテレビつけたらこゆ番組をやっていた。どの党首も演説はあんまりうまくないなあ、と思った。安倍くんは間を取りすぎて盛り上がらない。拉致問題の部分だけ妙にヒートアップするのが笑えた。小沢くんは無理して庶民的にしゃべろうとしているが、目の下のクマがそれどころじゃない、と物語っていた。公明党の太田くんはマニフェスト実行率No.1と言っていたがこれは自民党に寄り添うからできたことであるし、平和政党の割にはかなりドスのきいた演説だった。共産党の志位くんの演説はきれいごとをならべているが、共産党がどういうものを目指しているのかはわからない(または巧妙に隠している)ものだったし、社民党の福島くん(さん)は草稿棒読み、感情が感じられない。いいこと言っているのに。


ま、政党による政治がもう時代に即していないのではないか、という意見に呼応するようなものであった。


何かで読んだのだが、選挙を棄権するということは今の政治に対抗するのではなく、逆に今の政治に信任を与えることになるのだそうだ。棄権してもその意見は反映されない、ということではなく、投票しない、という事実が選挙の結果に応じた信任を各政党に与えることになる。もっというと得票率第一位の政党が議席を獲得しやすく、その他の政党への投票は死票になるため、得票率第一位の政党への信任投票になってしまう、ということだそうだ。確かに納得のいく考え方ではある。


どうせ年金もらえないんだから投票なんかいかねえよ、という投票行動(投票してないから投票行動といえるのかどうか微妙だが)は若い世代を考慮しない未来のことを考えていない政党への信任投票になってしまうのだ。


だから、棄権するのではなくみんな投票しましょう。自分の意見を最大限汲み取ってくれそうな政党に積極的に投票する。そうすることで自分達の未来も確実に変わる。棄権していては自分にとってよい将来は絶対来ない。


何だか今日は熱いな、私(笑)





2007年3月2日金曜日

Sweet Home Kamata



今月引っ越しをすることになりました。といっても今の所から2kmくらいしか離れていないのですが。とはいえ使う駅も変わるし生活圏は今までとは全然違ってきます。


新しい生活に希望もふくらむ一方、この街の友達に引っ越しを告げるのは辛いものがあります。先日も行きつけの花屋さんに報告に行きました。彼は「さよならってわけじゃないんだから」と言ってくれました。確かに歩いても30分かからない距離ではあるのですが、話してて辛かったです。


この街では2つの大きな出会いがありました。子供の保育園入園から始まった親達との出会い、また花屋さんに連れていってもらったStudio80セッション大会から始まった音楽仲間との出会いです。どちらの出会いも私の生活や考え方を大きく変えました。


この2つの出会いがあったこと、そして知り合った皆さまには本当に感謝してます。


さらには皆さまと付き合えたおかげで生まれて初めて私も社会的コミュニティーへの帰属意識を感じることができました。言葉は堅くて申し訳ないのだがこれは私にとってすごいことでした。今までははみ出し者として社会のすみっこに何とか置いてもらってて、自分から社会に関わろう、みんなのために何かしようと思ったことは皆無な自己チュー人間でした。


しかしこれらのコミュニティーに暖かく迎えてもらい、大好きになり、ここをもっとよくするためになにかしたいと思うようになりました。今までの傍観者ではなく責任を果たしながら当事者として参加し始め、実際そうすると好きなコミュニティーにどんどん深く関われるようになり、さらに好きになるとともに自分は必要とされているんだ、自分の存在意義を感じることができました。


文字で書くとやはり堅くなりますが(笑)要は、


「この街で出会ったみなさんありがとう。少しだけ離れるけどこれからも変わらずよろしくっ。」


です。





2006年10月26日木曜日

新聞もTVニュースも見ないんです



広報関係の仕事、プレスリリース(企業の広報資料)を作ってメディアに流す仕事をしているある人と話していて彼の口から出た言葉。


メディアのニュースがどうやってできるのかを知ってしまうとアホらしくて読まなくなってしまったらしい。


各企業の広報がメディアに取り上げて欲しいニュースについて資料を作り、(その資料には何日何時までは発表しないようにと書いてあることが多い。皆さん一斉に報道しないとニュース価値が下がるので。また記者会見を何日何時にどこでやりますよ、来て下さいとも書いてある)記者クラブに持って行く。


そこにはメディア各社がいてニュースのもとが来るのを待っている。広報の人はそこにいる各社に資料を手渡しする。すると質問が出る場合があるのでそれに答える。記者クラブにはポストもあるらしくそこに資料を投げ込んでも取り上げてもらえるそうだが、手渡ししたほうが扱いが大きくなるらしい。


映像が必要な媒体はカメラを持って指定された日時に記者会見場に行き、紋切り型の映像や写真を撮る。


しかし広報資料にはニュースの(企業が都合のいいように書いた)詳しい説明とともに写真入りCDがついているので、わざわざ取材に出かけなくともよい。


で、期日が来ると広報資料をコピペしオフィシャル写真がついた同じような記事がいろんなメディアに「ニュースニュース!」と一斉に出てくる、とこういうことらしい。





2006年8月2日水曜日

メディアがニュースを選別しているという一例



このような記事がありました。以下一部を引用。


リコール王・トヨタ “口止め料”日本一の威力:MyNewsJapan



リコール王・トヨタ “口止め料”日本一の威力


トヨタ取材班 03:45 07/26 2006


 熊本県警は7月11日、リコールを遅らせたことで、5人に全治50日の重傷などを負わせる事故を発生させた業務上過失傷害の容疑で、トヨタ自動車の部長クラス3人を書類送検した。トヨタ本社には昨年8月に家宅捜索も入っていたが、当時、この大ニュースについて、三菱(数年前)の場合には写真つきで報じたマスコミ各社は、トヨタの場合には、一行も報じなかった。


 7月20日に国交省に提出された報告書ではクレーム(不具合件数)隠しも明らかとなり、いよいよ三菱に似てきたトヨタ。しかしマスコミは、同社が放つ年1,000億円超の広告宣伝費に懐柔され、死者が出るまで追究しないつもりだ。



ね、これっておかしいですよね。これはトヨタが出す広告費を失いたくないメディア側が彼らに気を使って悪いニュースを流していないのでは。。。三菱のときにはあんなに毎日写真や何かメディアに出てましたね。しかしそのときトヨタ含む他メーカーの車も少なからず燃えていたのに報道は三菱車だけ。。。


真実はどこで手に入れることができるのでしょうか。自分で探すしかないですね。みなさん騙されちゃダメっすよ。





2006年6月27日火曜日

ITについて



最近は真ん中にコミュニケーションを入れてICTとも呼ばれるそうですが。


昨日も調子の悪い無線LANを修理に出すべく取り外し、外すとルータがなくなって家庭内LANが機能しなくなるのでルータの設定をバックアップし、各PCをモデムに直結できるように設定しなおしました。就寝25時。


修理から戻ってきても再設定が必要。。最近この手の作業が睡眠時間、ひいては私の自由時間を圧迫します。悪いことにこの作業は家族の理解を得られない。この作業があるからこそ愚息はPCでガンダムが見られるし妻はいろんな調べ物ができるのだが、「いっつもコンピュータやってる」で評判が悪い。


私のPC歴はPowermac6100/66に始まりもう10年以上になるが、このコンピュータという便利な代物は私の睡眠時間をいくら奪ったのだろうか?夜更けに思うように動かない目の前の箱を粉砕したい衝動に何度駆られたことが。


結論。


ITを使って節約できる時間は使えるようになるまでに設定で費やす時間の総和に等しい。または後者は前者より大きい。


それでも夜な夜なPCに向かう私って。。。猿?





2006年6月7日水曜日

最近オモウコト (その2)



(昨日のエントリを先に読んでね)


この署名をお願いします、という単純な行為は、実は自分の信条をみんなに向かって明らかにし、それに伴うリスクを受け入れる、社会で自分の立つ場所を大きく変化させる行為だったのですね。


ああ、これが本当に自分と社会の関係において自分らしく生きるということなんだなあと思いました。今まで自分は自分に対して責任をとる、そういう生き方をしてこなかったなあ、と。これが本当の勇気なんだなあ、って。マジレンジャーみたいだけど(笑)


と同時にこういう生き方を既にされている人たちに対して畏敬の念を持ったわけです。すごいなこの人たち、って。宗教に走る人たち、政治の世界に入っていく人たち、同性愛やエイズでカミングアウトする人、「オタク」と呼ばれる人たちもそういう範疇に入ってくるのだと思います。こういう人は自分の側ではなくて向こう側にいるのだ、とは常々思っていたけど、こちら側と向こう側の間には決然たる意識の差があるなあ、と。


今は署名期間も終わり、その後さらに活動の範囲を広げるわけでもなく、元の自分と何ら変わらずだらだらと日常生活を続けています。しかし今回考えたこと、気付いたことを忘れず、また来るであろう決断の時には向こう側に飛び出してみたいなあ、と思います。





オチを作ろうと思ったがなかった。。。完





2006年6月6日火曜日

最近オモウコト



最近、色々なことが起こった。自分にとっては大きなことなのだが特に他の人から見るとどうってことないことだと思う。でもその小さなことたちは私の心のモヤモヤした部分にひっかかり、ちょっと考えたいなあ、と思っていた。それを自分なりに咀嚼してここに書こう、と思っているんだけど咀嚼する前に次のことに移ってしまってそれにかぶりついている、という過食症状態。実際二日酔いではあったのだが(笑)


なので最近書けなかった。


が、今日はつれづれなるままに書いてみましょう。まず一つ。


私生まれて始めて署名を集める、という活動をしてみたのですよ。とはいえ高々10筆だけど。そうすると署名を「する」と「集める」という行為の間には大きな隔たりがあるのだなあ、ということに気がつきました。


どちらの行為も自分の態度の表明ではあるけれども、「する」はどちらかというと受け身的な表明ですね。コール&レスポンスで言うと「レスポンス」にあたります。


しかし「集める」は「コール」、自発的、積極的な行為なのです。当たり前ですね(笑)


これは結構勇気のいる、そして覚悟のいる行為なのですね。普段友達、また周りの社会に対して自分の政治的な見解を発表する、なんてのはあまりしないと思うのです。少なくとも私はしていませんでした。仲のいい友達に対してはするけどね。しかしそれを話すからといってアクティブに行動するか、っていうとそうしてはいなかったのです。しかし今回それを敢えてやってみたのですね。仲のいい非常にアクティブに行動している友人に触発されたのです。大田区に無防備平和条例を作りましょう、というこの会。


お母さんのための【美的ヌーボ】を通販最安値で購入する方法とは?


署名をお願いします、と言うとみんな気さくに話を聞いてくれ、「俺は署名しないぞ」という人はおらず皆署名をしてくれたのですが、中には怪訝そうな顔をする人がいました。「これは何のための署名なの?あなたはこういう人なの?」そう顔に書いてありました。この署名をお願いします、という単純な行為は、実は自分の信条をみんなに向かって明らかにし、それに伴うリスクを受け入れる、社会で自分の立つ場所を大きく変化させる行為だったのですね。


ちょっと時間切れなのでまた続きを後で書きます。





2006年3月2日木曜日

飲酒と自殺の関係



ダークな話題ですが、今日のニュースになってましたね。これってどういうことなの?と色んな記事を読んでみたのですが、いちばん詳しく書いてある記事がこれ(中日新聞ホームページ)だったので引用しておきます。



自殺リスク酒量影響


厚労省が調査


 飲酒と自殺の関係について男性約4万人を調査した結果、週1回以上飲酒し1日当たりの飲酒量が日本酒3合以上に相当する人や、全く飲まない人の自殺リスクは、月に1-3日程度飲む人の2・3倍になることが1日、厚生労働省研究班(主任研究者=津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)の調べで分かった。


 国内の自殺者は毎年3万人を超える。習慣的な大量飲酒が要因になるのは知られていたが、全く飲まない人からも高いリスクが浮かび上がった。


 研究班は岩手、秋田、長野、茨城、新潟、高知、長崎、沖縄の8県内の計9保健所の各管内に住む40-69歳の男性4万3383人について、7-10年(平均8・5年)の追跡調査を実施。その間、168人が自殺した。



すごい調査ですね。4万人強を10年も追跡するとは。そして調査がされた県、概して自殺率の高い地域です。岩手(47都道府県中自殺率3位)、秋田(同1位)、長野(同33位)、茨城(同23位)、新潟(同5位)、高知(同8位)、長崎(同22位)、沖縄(同20位)。(出典:図録▽都道府県の自殺率)また40-69歳の男性という調査対象は的を得ています。この辺の方が自殺しやすい。


そして調査中に168人もの方が実際に自殺されています。率にして0.39%、人口10万人当りの自殺者数(=自殺率)だと387。2003年の日本の自殺率が27.0、男子のみでも40.1(出典:平成15年中における自殺の概要資料・警察庁生活安全局地域課)というところから見てもかなりの高率です。



 分析に際し全体を飲酒状況で「全く飲まない」(23・8%)、「月1-3回」(9・6%)、「週1回以上」(66・6%)の3群に分類。さらに「週1回以上」について、日本酒換算で1日当たり「1合未満」「2合未満」「3合未満」「3合以上」の4グループに分けた。


 その結果、「月1-3回」の自殺リスクを「1・0」とすると、「1合未満」が1・2、「2合未満」が1・4、「3合未満」が1・3となり、「3合以上」が2・3と最大になった。



ここに少し異議があるのですが、リスクが1・0とされているグループは全体の10%足らずです。ここを基準に持ってくるのは不自然なような気がしますが、いかがなものなのでしょうか。そしてこの結果、1日3合以上飲むのでなければそんなに自殺したりしない、とも取れます。平均して1日3合はすごい量ですね。社会生活を普通に送るのがまず難しそう。



 一方、「全く飲まない」も2・3となり、中でも「飲んでいたがやめた」に限ると6・7と非常に高い数字が出た。



ここはちょっと注目。全く飲まない人と1日3合飲む人が同リスク。どういうことなんでしょうねえ。そして飲んでたけどやめちゃう人はリスクさらに上昇!酒はやめちゃいけないんだな(゚o゚)



 研究班は「飲まない人の中に、自殺の危険性を高めるようなつらい病気を持つ人やうつ状態の人が多く含まれていた可能性もある」と分析。「ただ、酒を飲めば自殺リスクを下げられるという結論が出たわけではない。アルコールの害も考えると、1日1合程度にとどめた方がいい」としている。



「節度ある適度な飲酒:1日平均純アルコールで約20g程度(日本酒1合相当)の飲酒」という厚生労働省が健康日本21で出している定義があり、これに沿ったコメントをしたのでしょう。


このニュースに出てくる数値も断片的でこの調査の全貌は公表されたデータだけではわかりません。詳しい報告書はウェブに上がったりするのでしょうか。読んでみたいけど出てこないかな。一般ピープルの啓蒙(警告?)に役立つ部分のみを抽出してニュースとして発信した今回で終わりかも。


おい、高い税金払ってるんだからキャッチーでなおかつバイアスがかかった情報だけじゃなくて今回わかった事実を全部公表してくれよな。





2006年2月7日火曜日

今日は北方領土の日



なのだそうだ。仕事場の近くにロシア大使館があるのだが、今朝会社に行く途中にものすごい数の公安関係者(笑)を見た。イケてる紺色のウインドブレーカー着用の方もいたが背中には英語で「爆発物処理班」と書いてある。。。ググってみたら北方領土の日。なるほどね。


仕事中も何度かダミ声シュプレヒコールが聞こえた。昼休みにたまたま大使館方面にご飯を食べに行きもう一度びっくり。路肩は警察車両でびっしり、交差点では信号待ちをしている人より盾持ってヘルメット被ってる紺色の人(笑)の方が多い。こんなにいて何すんの?


そこにこれまた警察車両によく似てて、かなり声高に自らの主張を述べていらっしゃる車列が通りかかる。


警察車両側からも負けじと怒号が飛ぶ。それは売り言葉に買い言葉ではなく何かの合図だったらしく、鉄製の白いじゃばらになった人のお腹くらいの高さの柵が横断歩道に沿って拡げられ、車両の交通が一切遮断される。


当然一般車両も身動きが取れなくなったりする。うるさいし動けないし周りは(官憲もそうでない側も)屈強なおっさんばかりで車の中の人は怖いだろうなあ。写真撮っておけばよかったなあ、忘れてた。


日本人が抗議し、日本人が取り締まり、日本人がそれによって迷惑をこうむる。しかし当然だがもう一方の当事者の姿は見当たらない。しかし道路封鎖ポイントから200mほど離れているところに確実にいらっしゃる彼らには、この状況はどう見えているのだろうか。見ているのかなあ。。。





2006年1月31日火曜日

今さらですが年賀状について



今年の年賀状って例年に比べて届くのが遅くなかったですか?一週間以上かかって届くものとかあったし。


ネットで見るといろんな人がブログでそゆ発言をしているので全国的な現象だと思うのですが、その原因についてズバリ言及しているものはなかったと思います。何かが変わったからこうなってしまったのだと思うのですが、何故なんでしょうねえ?


誰か真実を知ってらっしゃる方、私にコソ~リ(ぢゃなくてもいいけど)教えてもらえないでしょうか。





2006年1月24日火曜日

おかしいなと思うこと



ライブドアの捜査が始まるタイミング。まるで耐震強度偽装からみんなの眼をそらすかのような。


沖縄のカプセルホテルで死んだという堀江さん元側近の死因。自殺だというメディアに疑問を持たない人はどれくらいいるのだろうか。





1999年11月28日日曜日

自動車に乗れなくなる日(昔HPに書いたコラムを転載)



「自動車に乗れなくなる日」のことを考えたことがあるだろうか。


自分が年をとって「もう免許は返納じゃ」という日のことではない。石油資源が枯渇し、また地球環境が悪化して、もう自由に自分の好きなところに、好きなときに、自動車・バイクで行くことはまかりならん、そういう時代のことである。


そんな時代はまだまだ先じゃないか、自分たちには関係ないよ、と思った人も多いだろう。しかし、僕はそうは考えない。少なくとも今のガソリンや経由を燃やして走る自動車を自由に乗り回すことができなくなる時代は、そう遠くない将来にやってくるはずだ。


今、自動車業界では盛んに合併が行われ、規模を拡大すること(=総利益がどんどん大きくなる)によって多額の資金を調達し、それを次世代の自動車の開発に充てている。なぜ自動車メーカーが次世代の自動車の開発に血眼になるのか?それは他でもない自動車メーカーが「現在の自動車に未来はない」と判断しているから。


植物の死骸、動物の死骸が何万年もかかって変質し、エネルギーが濃縮され、石油はできている。その地球の遺産というべき優れたエネルギー密度を持つ石油を人間は百年足らずでほぼ使い切ろうとしている。今まで使った石油をもう一度作るには、やはり何万年もかかるはずだ。だから石油は必ず枯渇する。


そしてエンジンの排気ガスをいくらきれいにしたところで、化石燃料(C)をエンジンで燃やせば(=空気中の酸素O2と結びつければ)CO2が必ず出る。これが地球温暖化ガスである、1990年のレベルに削減せよと否定されたら、エンジンの原理そのものを否定するしかない。


この二つの理由から、エンジンの時代は近い将来に終わると判断しているのだ。


またエンジンがこの世に誕生してから現在に至る百年もの間、当然エンジンに代わる推進装置の研究は行われたが、その間(原爆やコンピュータはできても)エンジンよりも効率、使い勝手の優れた推進装置の原理は登場しなかった。今までの自動車の開発は(それでも何十億って金がかかるんだけど)百年前に発見されたエンジンの原理を使ってそれを個々の車に応用することだった。


しかし次世代の自動車の開発はいままで百年間見つからなかったエンジンに代わる新しい推進装置の原理の発見なのだ。これには今までの応用技術の開発と違い、桁違いのカネ、桁違いの時間、優秀な頭脳を必要とするため、それらを一社でまかなうことは到底不可能なのだ。


それをまかなうため、合併や業務提携による規模の拡大が盛んに行われている、これが現在の自動車業界を巡るストーリーである。


しかし、いまのところ次の100年を安泰に乗り切れる新たな原理は未だ発見されていない。燃料電池が本命とされているが燃料となる水素をどうやって供給するか、という問題が解決されていない。水を電気分解すれば水素は得られるが、その電気をどうやって作るのか。化石燃料から作るならそれをそのままエンジンで燃やした方が効率がよい。


植物などから得られるメタノールを改質して水素を得る方法も提案されているが、現在使われている石油と同じだけのエネルギーを供給するにはどれだけの植物を栽培しなければいけないのだろう。またそうやって採取したメタノールもその改質時にCO2の排出を伴う。完全なクリーンエネルギーにはならない。


だから、僕は近い将来、個人的な交通機関(自家用車・バイク)による移動は制限され、最小限の、そしてできるだけ環境への影響を少なくしたバスや鉄道などの公共交通機関によって何とか人間の移動が可能になるのでは、と考えている。これが「自動車に乗れなくなる日」である。


ま、自動車が発明される前は人間は馬車に乗っていたのだし、現在の技術を持ってすればナリタブライアンのクローン馬に超軽量カーボン製の馬車を牽かせたりして、そういう状況になっても結構移動には不自由しないのかもしれないけれど。


結局長々と何が言いたいのか分からない文章を書いてしまったが、要は次の一文につきる。


「クルマ好きにはもうすぐ冬の時代がやってくる。その前に精々大好きなクルマに乗っておきなさい。」


”いつかはポルシェ”なんて言ってるうちに、ポルシェに乗れなくなる日がやってくる。乗りたい車がある人は上の理論をしっかり学習して車道楽に反対する恋人や奥さん、両親を説得し、子供が泣き叫ぼうと一家離散の危機になろうと自分の夢のクルマを今のうちに手に入れ、束の間の快楽に耽るように。


たかがクルマ、されどクルマ。(笑)