とはいっても花はありませんが家庭菜園ネタが一部はやっているようなので私も便乗。
私の空中家庭菜園は小さなプランター2つ。今は食べられるものしか植えてなく、トマト、バジル、ラディッシュに大葉があります。トマトは予想外にすくすく育ち、もう青い実をつけました。今朝上にもっと伸びるように下の葉っぱを少し取りました。
植物は手をかければかけるだけ応えてくれるので楽しいです。盆栽にハマるおとーさん達の気持ちがよくわかる今日この頃、っつーか私も立派なおとーさんですね、ハイ(笑)
とはいっても花はありませんが家庭菜園ネタが一部はやっているようなので私も便乗。
私の空中家庭菜園は小さなプランター2つ。今は食べられるものしか植えてなく、トマト、バジル、ラディッシュに大葉があります。トマトは予想外にすくすく育ち、もう青い実をつけました。今朝上にもっと伸びるように下の葉っぱを少し取りました。
植物は手をかければかけるだけ応えてくれるので楽しいです。盆栽にハマるおとーさん達の気持ちがよくわかる今日この頃、っつーか私も立派なおとーさんですね、ハイ(笑)
子供が潜水艦に乗ってみたい、というのでネットで検索したら二艇出てきました。
「もぐりん」は沖縄で運行されていた観光潜水艦。4年ほど前に運行(潜航か)を終了したそうです。
「もぐらん!」は本栖湖で運行されている観光船。潜水艦に見えますが名前通り潜らないそうです(笑)
で、シムシティ。街がどんどん大きくなるのだが、ある規模を超えると成長のペースがガクンと落ちる。渋滞解消のために道路を拡げようとすると既にある建物を壊すしかなく、お金がものすごくかかる割に効果が少ない。あきらめてもともとある街の郊外に新しく街を作ろうとすると旧市街がスラム化し治安維持にコストがかかる。あげくの果てにはインフラが老朽化し、維持するためだけに莫大なお金を必要とするようになる。
この辺りで人口の増加(=収入の増加)を街の維持コストが上回るようになり、街は衰退しはじめる。いったんマイナスの方向に転がりはじめるといかなる手法でもその流れは止められず、街は荒廃してしまう。。。
何度やってもある一定の規模を超えると街はそれ以上発展せず、面白くなくなってやめてしまった。
で、話をもとに戻すと(笑)
ひょっとして、電車がよく止まるこの状況、ひいては今の東京って、実はシムシティみたいに街としてのピークを既に迎えていて、維持するためだけのコストが増大してゆく局面に入りつつあるのではないかと思ったのです。
前に読んだジェレミー・リフキンの「水素エコノミー」という本でもローマ帝国が滅んだ原因としてそのようなことが書いてあったと思います。
さ、東京の寿命はあと何年なのでしょうか。もう滅びているエリアもあるかもね。。。
今日も通勤の電車が遅れている。車内放送によるとほかの線区でも運転を見合わせているらしい。今また新たな故障が別の場所で起こったらしく電車は駅で立ち往生し、別の電車に乗り換えなきゃいけなくなった。大行列だ。こういう状況が最近増えてきていると思う。
昔(今もあるのかもしれないけど)シムシティというゲームがあった。街を作るシュミレーションゲームだった。何もない野原みたいなところに道路や鉄道を作ると人がやってきて住み始め、街がだんだん大きくなってゆく。人が増えると道路も渋滞したり治安が悪くなったりするので道路を広げたり新しい線路を敷いたり、交番を作る。するとどんどん人口が増え、税収が増えるのかプレーヤーのお金も増えさらに街の施設を整備することができる。
スケールの大きい楽しいゲームだった。
あ、時間切れ(笑)続きは後で。
(昨日のエントリを先に読んでね)
この署名をお願いします、という単純な行為は、実は自分の信条をみんなに向かって明らかにし、それに伴うリスクを受け入れる、社会で自分の立つ場所を大きく変化させる行為だったのですね。
ああ、これが本当に自分と社会の関係において自分らしく生きるということなんだなあと思いました。今まで自分は自分に対して責任をとる、そういう生き方をしてこなかったなあ、と。これが本当の勇気なんだなあ、って。マジレンジャーみたいだけど(笑)
と同時にこういう生き方を既にされている人たちに対して畏敬の念を持ったわけです。すごいなこの人たち、って。宗教に走る人たち、政治の世界に入っていく人たち、同性愛やエイズでカミングアウトする人、「オタク」と呼ばれる人たちもそういう範疇に入ってくるのだと思います。こういう人は自分の側ではなくて向こう側にいるのだ、とは常々思っていたけど、こちら側と向こう側の間には決然たる意識の差があるなあ、と。
今は署名期間も終わり、その後さらに活動の範囲を広げるわけでもなく、元の自分と何ら変わらずだらだらと日常生活を続けています。しかし今回考えたこと、気付いたことを忘れず、また来るであろう決断の時には向こう側に飛び出してみたいなあ、と思います。
オチを作ろうと思ったがなかった。。。完
最近、色々なことが起こった。自分にとっては大きなことなのだが特に他の人から見るとどうってことないことだと思う。でもその小さなことたちは私の心のモヤモヤした部分にひっかかり、ちょっと考えたいなあ、と思っていた。それを自分なりに咀嚼してここに書こう、と思っているんだけど咀嚼する前に次のことに移ってしまってそれにかぶりついている、という過食症状態。実際二日酔いではあったのだが(笑)
なので最近書けなかった。
が、今日はつれづれなるままに書いてみましょう。まず一つ。
私生まれて始めて署名を集める、という活動をしてみたのですよ。とはいえ高々10筆だけど。そうすると署名を「する」と「集める」という行為の間には大きな隔たりがあるのだなあ、ということに気がつきました。
どちらの行為も自分の態度の表明ではあるけれども、「する」はどちらかというと受け身的な表明ですね。コール&レスポンスで言うと「レスポンス」にあたります。
しかし「集める」は「コール」、自発的、積極的な行為なのです。当たり前ですね(笑)
これは結構勇気のいる、そして覚悟のいる行為なのですね。普段友達、また周りの社会に対して自分の政治的な見解を発表する、なんてのはあまりしないと思うのです。少なくとも私はしていませんでした。仲のいい友達に対してはするけどね。しかしそれを話すからといってアクティブに行動するか、っていうとそうしてはいなかったのです。しかし今回それを敢えてやってみたのですね。仲のいい非常にアクティブに行動している友人に触発されたのです。大田区に無防備平和条例を作りましょう、というこの会。
お母さんのための【美的ヌーボ】を通販最安値で購入する方法とは?
署名をお願いします、と言うとみんな気さくに話を聞いてくれ、「俺は署名しないぞ」という人はおらず皆署名をしてくれたのですが、中には怪訝そうな顔をする人がいました。「これは何のための署名なの?あなたはこういう人なの?」そう顔に書いてありました。この署名をお願いします、という単純な行為は、実は自分の信条をみんなに向かって明らかにし、それに伴うリスクを受け入れる、社会で自分の立つ場所を大きく変化させる行為だったのですね。
ちょっと時間切れなのでまた続きを後で書きます。