最近大井町経由で帰ることが多いのだが、ひっかかることも多い。先週金曜日は立ち飲みで酔っぱらい、最終バスに乗ったものの中で熟睡し、終点のバスの車庫で運転手さんに起こされ、30分以上かけてトボトボ歩いて帰った。
昨日は肉屋立ち飲み(ほぼ屋外)で寒く、熱いコップ酒を何杯か飲み、やはりバスの中で熟睡して運転手さんに終点で起こされた。そのバスは幸い循環バスだったのでそのまま乗って家まで帰れた。
二戦二敗、負け負けだ。。今日はおとなしく家に帰ってきました。
最近大井町経由で帰ることが多いのだが、ひっかかることも多い。先週金曜日は立ち飲みで酔っぱらい、最終バスに乗ったものの中で熟睡し、終点のバスの車庫で運転手さんに起こされ、30分以上かけてトボトボ歩いて帰った。
昨日は肉屋立ち飲み(ほぼ屋外)で寒く、熱いコップ酒を何杯か飲み、やはりバスの中で熟睡して運転手さんに終点で起こされた。そのバスは幸い循環バスだったのでそのまま乗って家まで帰れた。
二戦二敗、負け負けだ。。今日はおとなしく家に帰ってきました。
機会があって参加するようになったのだが、それは初めて顔を出したときに先生と以下のような会話をしたからであ~る。
私:「サンバのリズムって日本人が何もせずに盆踊りを踊れるようにブラジル人のDNAの中に既に入っているんだと思うんです。それを後天的に習得することは難しいと思うんですけど。」
先生:「それがそうでもないんです。リオのカーニバルに出てくるような人たちは大勢の人たちの中から選抜された人なんですね。現地のパーカッションチームの練習を見てても、リズム感がなくできない人はその場で帰らされ、どんどん振るい落としてゆく。そして残ったほんの一握りの人たちがすばらしいリズムを演奏しているんです。だから生まれつきみんなサンバのリズムが身についている、というわけではないと思います。
また、私日本の謡(うたい)習っているんですけど、この素養って私には全然ないです。日本人だから何となくできるかな、と思って始めたのですが全くそのようなアドバンテージは感じませんでした。」
だからリズムってのは練習によって後天的に身につくものなのだ、と続いた。そうか、それならサンバやってみようかな、と参加決定。
それが彼のセールストークなのかも、ってことに今書きながら気がついたのだが。。
「私思うんですけど、切られちゃった派遣の人たちを臨時の駐車違反取締員に雇って、完全歩合制でどんどんこういうのを取り締まればいいんですよ。そうしたら雇用を確保できるし違法駐車は減るし。」
うーん、すばらしいアイデアだ。これなら雇用側の初期投資も制服代+機械のお金だけですむし。でもあの機械って多分警察グループ天下り企業が(最終的に)納めてて不用意に高いんだろうなあ。。
以前父子3名でバスに乗ったときの話。1歳の娘が降車ボタンを押そうとしきりに手を伸ばす。私は他人の迷惑になると思いその手を押しとどめ「殿中でござる」状態。なかなかあきらめない娘にまったくもう!と疲れていると隣に座ってる息子が一言。
「押してもいいよ」
何で押していいんだよ!(怒)と憤慨しつつボタンを見ると「止まります」点灯。なるほど!確かにこの状態であればいくらボタンを押しても迷惑にはならない。嬉々としてボタンを押しまくる娘。息子も嬉しそうに一緒に押している。
許可または禁止の二元論ではなく、問題を解決するにはいろんなアプローチがあるんだよ、と彼は穏やかな顔で私に教えてくれている。下手なビジネス書を読むより子育てしてた方が勉強になる。多分(笑)
我が家のマイクロ菜園に植えてみたブロッコリーが何度かの青虫の襲来にも耐え、ブロッコリーですかねと言えるくらいの実(か?)をつけた。切ってレンジでチンして食べてみた。もさもさしてあまりおいしくなかった。。。何ヶ月も栽培したのに。。
今日プリンターのインクを交換するときに失敗し、指の先が何本か真っ赤に染まってしまった。
まだしゃべれない娘がその指を見て触ってしきりに「いた~い」「いた~い」と言っていた。
痛そうに見えたのかな。
妻は「あなたみたいにブログを書く人はよくやるわねえ、私にはできない」という。なぜかと聞くとこう答えた。
自分の思索を記録する目的であれば誰にも見られない日記を書けばよいではないか。誰か伝えたい人が明確にあるならその人に宛てて手紙なりメールなり書けばよいではないか。なぜ誰が読むかわからない不安定な場所に自分の考えを公開するのか。
それに対して私はこう答える。
世の中に星の数ほどブログがある中でその内容を悪用しようとする人がいてもその人に遭う確率は非常に低く、ほとんどの読者は私の知り合いである。また私はブログの中では自分または登場人物が特定されない書き方をしているので、セキュリティー的には問題ないと思う。
私の知り合いである読者みんなに対して私の意見を(世間の常識に照らして一定のフィルターを通したものにならざるを得ないが)書き殴り、私が関心を持つこと、また心を動かされていることを知ってもらい、あわよくばコメント等で対話するのは私にとって楽しいことだ。
普通このような対話をするには気のおけないメンツでしかるべき酒量を摂取し胸襟を開くというプロセスが必要になる。そしてこれこそがギリシャ時代から連綿と続くシンポジウム、私の愛するプロセスだが、ブログを使えば地理的に離れていて、または忙しくて会えない人、さらには居酒屋に行って血中アルコール濃度を上げなくてもシンポジウムが仮想的に開催できる。相手からは対話を始められないので、正確にいうと双方向の対話ではなく私からの一方的な対話ではあるが、相手が断片的にでも私の問題意識を把握してくれれば、次回リアルなシンポジウムにおいてその進行、また対話の内容がより深まるのではと期待する。
要は飲みの延長、またはその仕込み、ってことですね(笑)