2009年4月29日水曜日

サッカーと幼い日の記憶



サッカーを習い始めてしばらくたつ息子は休みになると私に「サッカーしよう」とせがむ。公園に行ってパスの練習をしたりPK戦のマネごとをするのだが結構彼なりに一生懸命やっているのが微笑ましい。今日は夕方から始めて暗くなるまでやっていた。あたりが暗くてボールを一生懸命追っかける、この情景に既視感があるなあとふと思い、ああ、と幼い日の記憶が鮮やかに思い出された。





私がちょうど今の彼くらいの小学生の頃、男子は赤いカープ帽を被ってヒマさえあれば野っ原で野球、というのがデフォルトだった。野っ原でできない時は道路で三角ベースをやったり手打ち野球をやったり、とにかく野球漬けだった。別にプロになろうとかではなく、それがその当時もっともポピュラーな子供の遊びだった。


私の父親は休みの日、時間をみては野球の練習をつけてくれた。それはひたすら彼がノックをし私が何とか取る、という当時の常識に沿った(笑)かわいがり方だった。彼は(今思うと加減してくれてたのかもしれないけど)容赦なく取りにくいところにショートバウンドや強いボールを打ってきて、顔にあたったりお腹にあたったり私にとっては辛いものだった。腰を落とさず捕球したり球の正面に行かずに捕球したりすると厳しく指導された。辛いのだが二人の間の意地の張り合いと同時に妙な高揚感が出てきて、長時間にわたった記憶がある。暗くなって球が見えなくなるまでしたこともあった。特に会話もなく、父も私も汗だらだらでひたすらボールを打って捕ってだったが、なぜか今でもその情景をよく覚えている。今思うとそれは父子ですごく濃密な時間を共有していた黄金の時間だったことがわかる。





彼もその時間を私と過ごしてくれているのだ。私の強いパスを懸命に止め、なんとか私のゴールを割ろうと稚拙なテクニックを使って四苦八苦する息子を見ていて、親子っていいなあ、となんだかジーンときた。これから息子がいつまで私にサッカーしよう、と言ってくれるのかわからないけど、彼にそう言ってもらえる限りなんとしても一緒に球を追おうと思った。





2009年4月27日月曜日

Life is a carnival



私の大好きなThe Bandの曲ですが、このエントリーは題名とは何も関係ないです(笑)


先日娘の保育園のお父さんお母さんで習っているサンバパーカッション教室の先生に声をかけていただき、先生が指導しているサンバチーム『フロール・ヂ・サンバ・セレージャ』の練習に参加させてもらった。浅草サンバカーニバルにも出場しているということでかなりビビってたが、練習そのものは保育園のサンバパーカッション教室でやっているものと似た感じだった。しかし皆さんmy楽器を持っていて当たり前だがうまい。老若男女さまざまな年齢層の人がいた。そして半数くらいはバテリアというパーカッション隊ではなくダンサーだということにもびっくり。本職じゃなくてもかなりうまい。全体として叩き出すリズムもさすが、素人には全くマネできません。


練習が終わってから近くの居酒屋に移動して軽く飲む。近くに座ったダンサーの人、バテリアの人たちにここの活動、またそれぞれここに入るに至った経緯など話してもらう。面白かったのは、みなさん異口同音に


「サンバで人生変わりましたっ!」


ととても嬉しそうに言うこと。そしてそのみなさんの顔が生命力にあふれてて輝いて見える。なんかいいなあこの雰囲気。なんだかこれは面白いことになってきたぞ。そう遠くない将来に私も浅草デビューしちゃってるかもしれません(笑)


[フロール・ヂ・マツド・セレージャ]Flor de matsudo Cereja





2009年4月25日土曜日

Live @ 三鷹 Bayou gate as Rock’n Roll Gumbo with Fats Kaseda & Rockin’ Shoes



いたかは学生時代近所だったのでよく行ったが最近はすっかりご無沙汰だ。その三鷹で初めてライブをした。Bayou Gateという我々にぴったりな名前のライブハウスっつーか飲み屋は北口を出てすぐ、しかし少し目立たない場所にあった。中に入るとあまり広くない、しかし不思議な空間が広がっていた。あとで聞くと元教会だそうで、変な演奏をすると地獄に落ちるらしい(笑)げに恐ろしきところなり。


ハコが小さいので音量をどうセッティングするか悩む。店の人に聞いたり他の楽器の音量に合わせたりしてかなり小さめにしたつもりだったが録音を聴くと私のスーザフォンだけ大きかった。次回の課題だ。


演奏は他メンバーのお供よく聴こえてやりやすかった。しかし初めてのハコで緊張しているのか無難なもので演奏者的には盛り上がりに少し欠けるものだったかも。


我々の次はFats Kaseda & Rockin' Shoes。私が小さい頃に聴いたのかどこかで聴いたことのある隠れた名曲たちを(まずこの選曲でやられる)、いわゆる「音楽」がわかっているメンバーがその楽曲(素材)のオイシさは活かしつつ(ここで二回目やられる)絶妙なアレンジを加えていなたく料理する。(これで三回目やられる。もうどうにでもしてー)私も観客もかなりメロメロ。Fatsさんのテポドンを乱射するようなMCも面白いし、メンバー紹介などショーの構成としてうまくできているなあとカンジダ、もとい感じた。


ライブ後もKasedaさんやベースのTicoさんと話して大いに盛り上がる。こういうライブはいいなあ。何回でもしたい。あっという間に終電の時間になってしまって急いで帰るが、後ろ髪(ないけど)を引かれる思いで三鷹を後にしたのであった。





2009年4月21日火曜日

携帯壊れた。



かなり使えた私のスマートフォンX01HT、使いすぎて臨界を迎えたのか、何日か前から液晶が真っ白に発光しはじめ、懐中電灯にしか使えない状況になってしまった。


ソフトリセット(再起動)やハードリセット(工場出荷時に戻す)を行っても治らない。ううむ、修理しようにも6月には買い替えできるわいと思って安く修理できるオプションを外したばかりだ。。


古い携帯を引っ張り出してきて使っている。


電話機の代金を2年間の分割払いにしておいて、2年もたない電話機を売っててはいかんのではないのか?なあ孫くん。





2009年4月17日金曜日

オラの畑 Vol. 2



今朝は雨かなと思ったがまだ天気がもってたのでいそいそと畑に行って堆肥ひと袋(約18kg)を投入。どうも配分がうまくいかず最後はほとんど堆肥なしで土をひっくり返してならしただけだったがまあこれで準備完了。しばらく堆肥が土と馴染むのを待って植付けだ。今日は畑の中から半分化石化した移植ごてが出土した。買わなきゃと思ってたのでかなりラッキー。


畑の中を踏まないよう畦からヘッピリ腰で鍬を振るっていると気の弱い石原慎太郎風なおじさんがやってくる。


「私こっちだからよろしく」


と畦を隔てて反対側の畑を指さして言う。私初めてなのでいろいろ教えてください、と丁寧に挨拶する。私のヘッピリ腰が気に入らないらしく


「汚れるの気にしないで畑の中に入ってやったほうがいいよ。その方が男らしい。」と。


やぱ石原慎太郎だ。


「堆肥もいいけど石灰はまいたの?」


「どうして石灰がいるんですか?」


「酸性雨とかあるだろ?あれで土が酸性になってるんだ。野菜はアルカリ性の土じゃないとうまく育たないから石灰をまいてアルカリ性にするんだ。」


無農薬+無耕転栽培を志向する私にとって堆肥以外のもの、石灰をまくことは全く眼中にない。しかしそういう理由なのか。なるほどね。まかないのだが店の場所を聞いたり慎太郎ちゃんに話を合わせる。彼は饒舌になり


「申し込みしたときに野菜の育て方のしおりもらっただろ?あれだけちゃんと読めば大丈夫だ、苗なんかはここのホームセンターで買うと安いぞ」とアドバイスしてくれる。


無農薬菜園の本二冊買って読んでるし苗は農協で仕入れてるぜ、と心の中でつぶやき、相槌をうちながら鍬を振るう。彼はいつのまにかいなくなり、畑もなんとか堆肥と混ざって平らになった。


帰りにごみ捨て場に堆肥の袋を捨てるが私が買ったのと同じ袋があちこちに捨てられていた。ホームセンターでさんざん悩んだ末にこの堆肥を購入した私の選択は Right choice だったのね、と我が意を得たり、意気揚揚と畑をあとにする。早く雨降れ。





2009年4月16日木曜日

答えられない質問



夜に1人皿を洗っているとふと頭の中に湧いてきて、でもそれについて考えはじめると実は答えられない簡単な質問。



「あなたは何のために生きているのか」


20代の自分であれば「女、酒、バイク、そして音楽」と胸を張って答えられた。胸を張ることでもないのだが(笑)


カミさんに問うてみると「生きるために生きている」という。ううむ、しかしそれも真理だ。


彼女とケンケンガクガクしばらく議論して、私の現在のところのこの問いに対する回答は



「子供たちに1人で自活できるだけの力をつけてもらい、人生のパートナーと我々の元を巣立ってもらうために、今を生きている」


に落ち着いた。


こう考えると今の自分の状況に新しい光があたりはじめる。





2009年4月15日水曜日

携帯電話



景気の悪化に伴い私が会社から持たされてた携帯電話の契約が打ち切られ、今日から通話できなくなった。


残念だ、という気持ち半分、これで私を縛る鎖からまたひとつ解き放たれた、と安堵する気持ちが半分。


なくなった携帯電話の重さ以上にかばんが軽く感じられる帰り道だった。